『夜の木』4刷の折込付録、夜の木通信③を以下の通りupしました。

 

 

<タムラ堂だより>        20152月発行

 

夜の木通信

                             No. 3

発行 タムラ堂

180-0003 東京都武蔵野市吉祥寺南町1-32-5

Tel. 0422-49-3964   http://www.tamura-do.com

 

 

 

 

『夜の木』と3人のゴンド画家

 

 

版ごとに違う表紙

 

 

 どうなるか予測がつかない不安な気持ちでスタートした『夜の木』の出版であったが、今回でなんと刷! 版元としては思いもよらなかった嬉しい展開である。

 

『夜の木』は、版(刷)ごとに表紙が変わる。そんな絵本は他にはない。少なくとも見たことがない。そもそもターラーブックスの原書がそうなっているのだ。一冊ずつシリアルナンバーが入っているため、同じ番号で同じ表紙の本が存在するのを避けるため、版によって表紙を変えたのだろうか。それが実に楽しい。全ての版を集めようとしているコレクターもいるくらいだ。

 

さて、今回の刷の表紙は、<孔雀>の場面だ。この表紙に使われている若草色は日本語版だけの特別の色である。初版から刷までの種類の表紙とのバランスを考えて、ターラーブックスに相談を持ち掛けたところ、神秘的でありながら爽やかで美しいこの日本語版の表紙が実現した。

 

 

木の詩人、ラム・シン・ウルヴェーティ

 

 

 この<孔雀>の場面を描いたのは、ラム・シン・ウルヴェーティだ。

 

『夜の木』は人のゴンド人アーティスによって描かれているが、その中でも、樹木対して特別に強い思いを持っているのがこの画家だ。まさに樹木の詩人と言える。

 

今回を含む種類の日本語版の表紙のうち、初版の<ドゥーマルの木>以外の3点がウルヴェーティの手によるものである。そして、『夜の木』に登場する19の樹木のうち半数以上がこの画家によって描かれているのだ。動物が樹木に変化していく様や、木の根や枝が動物に変わっていく姿を描かせたらこの人の右に出るものはいない。常に心の中心に樹木が存在しているアーティストだ。

 

1970年、中央インドのマディヤ・プラデーシュ州の小さな村で生まれたウルヴェーティは、他のゴンド人画家同様、正規の美術教育は受けていない。いくつかのゴンドアートの芸術集団に参加し研鑽を積み、妻の叔父である伝説的なゴンド画家ジャンガール・シン・シャームに師事。

 

ウルヴェーティが初めてキャンバスに絵を描いたとき、絵の具が飛び散ってしまった。うろたえている彼に、師ジャンガールの母親が言った。「絵の具が飛び散ったように、お前の作品も世界中に拡がっていくよ」 

 

やがて、その言葉が本当になった。インド国内外のさまざまな展覧会で認められ、現在では世界中にコレクターがいる人気画家だ。

 

 

 

ゴンドの魂を受け継ぐバッシュ・シャーム

 

 

 人のゴンド人画家の中で特に評価が高いのは、バッジュ・シャームだ。

 

『夜の木』の中でシャームが手掛けたのは「創造主のすみか」「蛇と大地」「からみ合う木」の3場面だけであるが、斬新なデザイン感覚で描かれたそれぞれの絵は不思議な力を秘めている。

 

1971年生まれのバッジュ・シャームは、幼いころから家の床や壁に絵を描く母を手伝っていた。でも、画家になろうなんて思いもしなかった。

 

貧しい家に育った彼は、16歳の時、故郷の村からマディヤ・プラデーシュの州都ボーパール(ボパール)へ職探しに出る。夜警員など様々な仕事をしているうちに、叔父の画家ジャンガール・シン・シャームにアシスタントとして働かないかと誘われる。背景に色を塗る手伝いなどをしているうちに、やがて絵の才能を見抜いたジャンガールから、自分の絵を描くように勧められた。

 

ロンドン滞在中の体験をもとに描いたユニークな絵本『ロンドン・ジャングルブック』(ターラーブックス)で脚光をあびる。

 

現代的なアートでありながら、同時にゴンドの伝統を守る作品を描きたい、そしてそれを後世に伝えていきたいと強く願っている。

 

 

伝説の画家ジャンガール

 

 

これら二人の画家、ラム・シン・ウルヴェーティとバッジュ・シャームに深くかかわっている人物がいる。ジャンガール・シン・シャーム(1962?2001)である。

 

ジャンガールは、ゴンド画を語る上で欠かせない画家である。もともとは家々の床や壁に描かれていた伝統的なゴンドの民俗画を発展させ、キャンバスや紙に描き、現代的な感覚の絵画作品として世界に知らしめた立役者である。フォークアートと現代芸術を融合したという点でも大きな功績を遺した。

 

惜しくも若くしてこの世を去ってしまい、まさに伝説となってしまった人物である。この画家の存在がなかったらゴンド画といわれるユニークなアートが成立しなかったかも知れないし、『夜の木』は生まれなかったに違いない。

 

 

女性アーティスト ドゥルガー・バーイー

 

 

さて、『夜の木』を描いたもう一人は女性の画家ドゥルガー・バーイー。 やはりマディア・プラデーシュ州の小さな村の出身である。

 

バーイーの絵は、生まれ育った土地と深く結びついている。彼女は幼い頃、祖母からたくさん物語を聞いて育ち、母親からは床や壁に伝統的な図柄を描く技術を学んだ。特に、祖母の存在がバーイーを支えていた。彼女のどの作品にも物語性が感じられるのはそのためかも知れない。

 

バーイーは、学校には行かなかったため、読み書きができなかった。そのことで、後年、苦労することとなり、女性も教育を受けるべきだという強い考えを持つようになる。

 

15歳で結婚。相手は粘土と木の彫刻家で、彼女に絵を描くように勧めてくれた。やがて家族で州都ボーパールへと移り住み、本格的に絵を仕事にするようになる。夫の義兄のジャンガール・シン・シャーム(またしても!)の助言もあったようだ。

 

『スルタナの夢』(ターラーブックス)など優れた挿絵の仕事で高い評価を受ける。

 

女性の物語にいつも心を奪われてきたというバーイー。彼女が描く『夜の木』の場面は、どこかユーモラスでやさしい。

 

 

 

このように、『夜の木』は、それぞれ独特の個性を持つ3人の画家の絵で構成されているが、その底に流れる共通したゴンドの伝統がはっきりと感じられる。この伝統を受け継ぎ、発展させ、後世に伝えていくこそが、まさに彼らの望んでいることなのだ。

 

(タムラ堂 田村実)

 

 

 

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「夜の木」に導かれて その2

 

 

 

『夜の木』の刊行直後の2012年の月に吉祥寺のOUTBOUNDでの出版記念の展示会を皮切りに、シルクスクリーン作品の展示を中心とする「夜の木」展が何か所かで開催されました。2012年から2013年末までの展示会、イベント、ニュース等は「「夜の木」通信②」の記事「「夜の木」に導かれて」の中でご紹介しました。

 

『夜の木』の出版を通じて、さまざまな出会いがあり、思いがけない展開もあり、「夜の木」はどんどん育ち、根を張り、枝を伸ばし、葉を茂らせつつあります。

 

ここでは、その後の展示会、イベント等についてご報告します。

 

2014月から月にかけて九州での「夜の木」巡回展。長崎(publico dejima)、福岡(ブックスキューブリック箱崎店)、熊本(長崎書店)の3か所を巡る。

 

2014月~月、Mobley Worksの「Mirrors & Frames」展(吉祥寺 OUTBOUND)にて「夜の木」シルクスクリーン作品展示。

 

201411月~12月末、東京・原宿のパン食堂レフェクトワールにてシルクスクリーン作品展。

 

 2015月には京都の恵文社一乗寺店(ギャラリーアンフェール)にて「夜の木」展(予定)。 その後の企画も検討中。

 

(折込付録の「「夜の木」通信」のバックナンバー①、② は、タムラ堂のホームページにてお読みいただくことができます。)