<タムラ堂だより> 2017年9月発行
「夜の木」通信 No. 5
発行 タムラ堂 〒180-0003 東京都武蔵野市吉祥寺南町1-32-5 Tel. 0422-49-3964 http://www.tamura-do.com |
<本通信は『夜の木』(6刷)の特別付録です>
南インド再訪の記
青木恵都
南インド チェンナイへ再び
チェンナイ空港に到着したのは2017年2月12日の正午過ぎだった。前回来たときは夜遅くて、強引とも言えるタクシーの売り込みに圧倒されて怖い思いをしたので、今回は明るいうちに着く便にした。ところが複雑なヴィザ審査を経たら、2時間が経過していた。
Tara Books から事前に「迎えに行っています」と連絡を受けていたが、きっと帰ってしまっただろうと思っていたら、空港出口に「Tamura-Do 」と書いた紙を持った青年が二人いるではないか。途端にヴィザ審査のことも忘れて、私たちは笑顔になっていた。運転役のマニ君曰く、ターラー・ブックスの制作責任者のアルムガム氏が、一休みしたら市内観光にお連れしたいとのこと。
休憩後、アムルガム夫妻と夕方のチェンナイの街に繰り出した。先ずは、有名なカーパーレーシュワラ寺院へ。ここは以前訪れたこともあったが、夕闇に輝く寺院はまた違った趣で印象深かった。
「コーヒーでも飲む?」と提案され、二つ返事で地元の人で賑わうお店に入る。当たりを見回していると、南インド特有の飲み方をお教えしましょうと、夫妻で実演して見せてくれる。コーヒーが入っている深めの容器とミルクと砂糖の入っているカップの間で何度も注ぎかえる。とてもリズミカルだ。「こうすると、コーヒー、ミルク、砂糖がよく混ざるでしょう?」多少こぼれても気にせずとても豪快だ。一緒に夕食をとりながらお喋りしているうちに夜10時ごろになり、明日の再会を期してお別れする。何という充実した一日!と自らに言い、眠りについたチェンナイ一日目の夜だった。
ターラー・ブックス再訪
翌朝、気持ちの良い快晴!9時半には迎えが来るからと、ホテルのレストランで朝食をてきぱきと、独特のドーサやイドゥリですませる。バナナも甘くて食感が素晴らしい。南インド風にコーヒーを飲んだら、さあ、ターラー・ブックスに向けて出発だ。
再びマニ君の運転で、道端に並ぶバナナチップス売りを眺めているうちに到着。昨日お会いしたアルムガム氏、ギーター・ヴォルフ女史(ターラー・ブックス代表)たちが迎えてくれる。折しも出来上がったタムラ堂の『太陽と月』の日本語版サンプルを見せてくれる。美しい色と見事な刷り。満足してニッコリ。
4年ぶりのTara Books訪問なので、あちこち変わっている。デスクで仕事に励んでいるスタッフは人数が増えて、女子が多い。挨拶をしてからお土産のお菓子を手渡す。人形焼きや寒天を使ったカラフルな駄菓子のようなものなので、喜んでくれるかしらという一抹の不安があった。ところが、すぐに丸テーブルにスタッフが集合し、口々に「おいしい!」「きれい!」と賛辞が飛び交うので嬉しくなった。「この人の顔みたいなものは、何?」とか「このお花は何?」と矢継ぎ早の質問だ。元気が良くてオープンで、これぞTara Booksの精神。知らないものは変なもの、と言う思い込みとは無縁だ。ギーターさんの好奇心がスタッフ全員に貫かれている。
最近の仕事を見せてもらったり、オーガニックのカレー屋さんでランチをしたりと楽しい時間はあっという間に過ぎ、またの機会を楽しみにオフィスを後にし、AMMスクリーンズ(印刷・製本の工房)へ。
タムラ堂の日本語版を製作しているスタッフと4年ぶりの再会。みんな少しずつ貫禄が出ている。印刷の手つきもベテランの落ち着きが感じられる。が、3人のチームで丁寧に刷り上げていく工程は同じで、この変わらなさがTara Booksのハンドメイド本のクオリティを支えている。少しずつ機械を取り入れる部分もあると言うが、肝心なところは手作り体制を崩さないのがすごい。
『夜の木』日本語版も今度の版で6刷になる。5年前に1,000部からスタートした頃を思い出すと感無量だ。これも読者の方々のお陰である。
Tara Booksとの絆も強いものとなり、嬉しい限りである。日本に何千といらっしゃる『夜の木』の読者の方の応援を力に、これからも良い本をお届けしていきたいと心から思う。
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青木恵都(あおきけいと) : 上智大学大学院修了。フランス語、英語の翻訳家として活動。訳書に『夜の木』、『世界のはじまり』、『雪がふっている』、『太陽と月』(タムラ堂)、田村恵子の名前で『天空の沈黙』、『妙なるテンポ』(未知谷)、『ルイのうちゅうりょこう』(偕成社)など。
「夜の木」の村を訪ねて
松岡宏大
『夜の木(The Night Life of Trees)』をデリーの書店で見つけたときの衝撃はいまだ忘れられない。真っ黒いざらついた紙の上に浮かび上がる赤や緑の木々。そして、その隣に添えられた幻想的な神話の世界。
たぶんそのときだ。「いつかこの木のある場所へ行ってみたい」と思ったのは。
タラブックス(ターラー・ブックス)の魅力に取り憑かれた僕は、それ以来、タラブックスの本を見つけるたびにコツコツと買い集め、そのうちチェンナイにある本社ブックビルディングにまで足を運ぶようになった。それが結実したのが、2017年6月に刊行された『タラブックス インドのちいさな出版社、まっすぐに本をつくる』(玄光社)である。本の取材をすすめる上で、僕のなかでどうしても外せない企画があった。それが、『夜の木』の村へ行ってみることだった。
そこでタラブックスが紹介してくれたのが、バッジュ・シャームだった。春を迎える祭ホーリーに合わせて彼の田舎であるパタンガル村、すなわち『夜の木』の村へ一緒に行くことになったのである。バッジュは気の置けない明るい男で、年齢も近いこともあり、僕らはすぐに打ち解けた。彼が普段家族と暮らすマディヤ・プラデーシュ州の州都ボパールからパタンガル村までの約300キロの道中、彼は僕に自分がどんな人生を送り、いかにしてタラブックスで本を出版することになったのかをきかせてくれた。
バッジュは画家としてはかなり遅咲きだ。というのも、25歳で叔父であるジャンガル・シン・シャームの手伝いを始めるまでは、絵を描いた経験なんてほとんどなかったのだから。それが絵筆を渡されたとたん、いきなり描けるというのは、彼自身の才能もさることながら、芸能を司るプラダーンというジャーティ(コミュニティ)に属する彼の血筋によるものかもしれない。
現代ゴンドアートは、ジャンガル・シン・シャームによって創られたといっていい。もちろんパタンガル村にはディグナを描く伝統があったけれど、それは女性の手によるものだし、絵画というよりも慣習に近いものだ。それをアートという高みに押し上げ、世の中に認知させたのは、間違いなくジャンガル・シン・シャームの功績だ。日本にも3度来たことがあり、娘に「ジャパニー」と名付けるほどの大親日家として知られていた。(3度目の来日のときに彼は原因不明の自殺を遂げる。娘のジャパニー・シャームは現在ゴンド画家として活躍している)
現在、ゴンド画家を名乗るひとは、ボパールに50人、パタンガルに35人ほどいるそうだ。なかでもバッジュの名声と作品のクオリティは群を抜いている。その理由は、タラブックスならびにその代表であるギータ(ギーター・ヴォルフ)との幸運な出会いであることは間違いない。
タラブックスとバッジュが最初に取り組んだ作品が『The London Jungle Book』だ。バッジュがロンドンのレストランの壁画を描きに行ったときの体験をゴンドの生活に落とし込んだものだ。何度もダメ出しをされ、何度も描き直し、ようやく出来上がったこの本は世間で高い評価を受ける。このときのギータとの共同作業が、画家としてのバッジュを大きく飛躍させることになる。
「ゴンドの画家はたくさんいて、みんな技術的には悪くないと思う。でも、その多くはただのコピーにしかすぎないんだ。だからグッとくるものがないんだよ。僕が神話の世界を描くとき、そのときそこにはどんな世界が広がっていたんだろうか、なにが見えていたんだろうか、それを深く想像し、どうやって表現すれば見る人に伝わるだろうか、どうすればもっと美しく表現できるだろうか、って考えて描いている。それはタラブックスと一緒に本を作るようになってから変わったことだよ」
車に揺られること12時間あまり。パタンガル村に着いたのは、満月の夜だった。月明かりに照らされた村の木々は、『夜の木』の世界そのままだった。
「『The London Jungle Book』のあともギータとよく話をしていたんだけど、そのなかで木の話が多いことに彼女が気づいたんだよ。」
そして、生まれたのが、傑作『夜の木(The Night Life of Trees)』である。
『夜の木』の原画を見せてもらう機会があったのだが、ほとんどの絵は白い紙に黒いペンで描かれているものだった。つまり、黒い紙の上に鮮やかな色をのせたのは、ギータでありデザイナーだったのである。しかし、そこで立ち上がる色彩や世界観は、僕がパタンガル村で目にしたものと一緒だった。
この本を作るにあたり、ギータをはじめタラブックスのスタッフは何度もパタンガル村に足を運んだそうだ。ゴンドの神話や生活に直接触れるために。
バッジュはこう言っている。
「昼や夜、時間の流れ、光……僕の描く絵は自分にとってリアリスティックな表現なんだ」
『夜の木』の素晴らしいところは、インドの辺境に暮らすゴンドという少数民族に伝わる説話が描かれているにもかかわらず、すべての人間の心の底に眠る、集合意識のようななにかに繋がっている印象を与えることだ。それは『夜の木』がただの想像の産物ではなく、現実の木を描いたものであり、現実の生活に根付いたものだからだろうと思う。